ラグビーを通して英語を学ぶ

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日本のラグビーは他のスポーツに比べて特に外国人プレーヤーの多いスポーツです。トップレベルになればチームには多数の英語を喋る選手が必ずおり、また、ヘッド・コーチもニュージーランド、オーストラリア、南アフリカおよび英国から招聘された人が多いという特色があります。そのような昨今の傾向から、若い学生は少しずつ英語に触れるようにした方が良い状況になってきました。また、日本のレフリーも英語で選手に説明している場面をよく見かけるようになっています。そこで、このサイトは若い選手からプロの選手まで、またレフリーの方々に英語でコミュニケーションを取れるようになる手助けをする為に開設しました。

 

更に、ラグビーを通して英語を学ぶ副産物があります。ラグビーは広く英連邦のコモン・ウエルス諸国で知られたスポーツです。中でもイングランドのボーディング・スクールなどではラグビーやクリケットは盛んにプレーされるスポーツです。「イングランド」ではラグビーはエリートのスポーツ、サッカーは大衆のスポーツ、といったイメージも昔はありました。そして、このような学校を卒業した多くの学生が世界的な金融機関やグローバル・ローファームで働いています。日本人でラグビーのプロにはならなかったとしても、世界で活躍する日本企業に勤めた場合、契約交渉の場面に立つこともあると思います。その交渉で休憩の時などに、英語でラグビーの話をしたりすると交渉相手と打ち解けることができその後の交渉がうまく行ったり、個人的な信頼関係を構築することができたりします。ラグビーを通じて英語を学ぶことは、ビジネスの場面で役立つことも意外にあるのです。ラグビーのプロを目指す人だけでなく、世界で活躍することを目指す人にもこのサイトを利用していただければ幸いです。

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日本のラグビーの歴史

本におけるラグビーの歴史は幕末に初まりました。

1853年のベリー提督による黒船来航をきっかけに江戸幕府が日米和親条約を締結しアメリカ、イギリス等の国々にも国を開くようになりました。そして新しく横浜が外国人に開かれましたが、開国に反対していた攘夷派の武士が外国人を襲撃する事件が発生することがありました。そして1862年には薩摩の島津久光の大名行列に出くわしたイギリス人の一行を薩摩武士が殺傷する「生麦事件」が発生しました。そこで身の危険を感じた横浜のイギリス人達が横浜の駐屯軍の増強を本国に依頼し、その結果、横浜のイギリス人の軍隊の人数は多くなりました。若い軍人は元気で活発ですから、軍人や横浜居留地の外国人たちはいろいろなスポーツを横浜で楽しむようになりました。

このように生麦事件をきっかけに横浜の軍人を含む居留地の人たちが増えたことから横浜でスポーツが活発に行われるようになり、1866126 日に書かれた文献(当時のJapan Times)には、当時「フットボール」と呼ばれていたラグビーのチーム(横浜フットボールクラブ YFBC)が横浜港で設立された、との記載がありました。これは徳川慶喜による1867 年の大政奉還の前の年になります。更に面白いことに、これはイングランドにラグビー・フットボール協会が出来る5年も前のことでした。少なくともこの1866年には日本でラグビーのクラブが設立されており、1866年が日本におけるラグビーが明確に確認できる年と言えます。但し、生麦事件の翌年である1863 年の文献にはイギリス海軍と横浜居留地の外国人との間で行われたクリケットの試合の記事があり、その中で、「集まった人の半数はフットボールをした」との記載があることから、1863年には横浜でラグビーのゲームをしていた可能性が高いようです。これらの文献発見の功績は全て歴史家のマイク・ガルブレイス氏によるものです。いずれにしても、激動の幕末の歴史の中で、1860 年代には横浜でラグビーが行われており、これが日本におけるラグビーの最初になります。このことはイギリス、トゥイッケナムのラグビー・ミュージアムでも認定され記録されています。

そして1866年に設立された横浜フットボールクラブ(YFBC)は1868 年に設立された横浜クリケットクラブ(YCC)とその後合流して一つのクラブとなり、横浜クリケット&アスレティッククラブ(YC&AC)となりました。その当時のYC&AC は、1866年の大火事で焼失するまで徳川幕府管轄下の遊郭「岩亀樓」があったところで、現在の横浜公園と横浜球場があるあたりに所在していました。しかしその後日本政府から敷地の返還要請を受けたために1912年に横浜市中区矢口台の土地に移転し、それに伴い日本法に準拠したクラブとして登録する為に組織を再設立し、名称を横浜カントリー& アスレチッククラブと変更し新たなYC&ACがスタートしました。現在もYC&ACは公益社団法人として横浜市中区の京浜東北根岸線山手駅近くに存続しています。日本代表の元コーチだったエディー・ジョーンズさんも日本在住中には時折YC&AC を訪問し、ラグビーの試合を見たり、クリケットのゲームをプレーしたこともあります。そのクリケットの試合はYC&AC対日本代表クリケットチームの試合で、その時の思い出について、イギリスの雑誌であるThe Cricketer 20169 月号に記事を書きYC&ACについて言及しています。エディー・ジョーンズさんはYC&ACのことを気に入っていたようで、2019 年のラグビー・ワールドカップの為にイングランド代表選手を率いて日本に来日した翌日(910日)に、イングランド代表選手全員(オーウェン・ファレルやマロ・イトジェなどほぼ全員)をお忍びでYC&AC に行かせて、リラックスする時間を与えていました。選手たちはプールで泳いだりスヌーカー(ビリヤードに似たイギリスで盛んに行われるゲーム)をして遊んだりしてリラックスしていました。センターのマヌ・トゥイランギのスヌーカーの腕はプロ並みでした。

ラグビーの歴史に戻りますが、このように日本でラグビーがはじまったのは少なくとも大政奉還前年の1866年ですが、「日本人に」ラグビーを最初に教えたのは、記録の残っている限りでは、1899 年にYC&ACのメンバーだったエドワード・ブラムウェル・クラークと田中銀之助が慶應大学の学生に教えたこと、とされています。長年、これが「日本の」ラグビーの最初とされてきましたが、実際に1866年に横浜フットボールクラブ(YFBC )が横浜で設立されたことを示す明確な文献が発見されたことにより、日本ラグビーフットボール協会も見解を変更し、最初は少なくとも1866年にYC&AC(当時は横浜フットボールクラブYFBC )が初めたということを認めました。それを記念して、日本で初めてラグビー・ワールドカップが開催された2019年に記念碑(plaque)が横浜に建てられました。1866 年に横浜フットボールクラブが設立された場所(横浜市中区山下町127番地)の近くである現在の横浜中華街の中にある山下町公園の片隅に記念碑(plaque)を設置し、除幕式には神奈川県知事、横浜市長、日本ラグビーフットボール協会会長である森重隆さん、YC&AC のプレジデントなどが出席しました。横浜中華街の中にありますので、是非一度見に行って下さい。以下に記念碑(plaque)の英文の記載を転写します。

The Yokohama Foot Ball Club (YFBC) – Japan’s and Asia’s first ever rugby club – was founded close to this spot on 26th January, 1866. The establishment meeting was convened at No. 127 Yamashita-cho by British military officers and western residents of the Yokohama Foreign Settlement.

In 1884, YFBC merged with the cricket (est.1868), athletics (1872) and baseball (1876) clubs in Yokohama to form the Yokohama Cricket and Athletic Club (YC&AC), which was located until 1909 in Yokohama Park. Now called Yokohama Country & Athletic Club, YC&AC is still playing rugby and other western sports in Yokohama toady – in Yaguchidai.



On 7th December, 1901 the first ever rugby match involving a Japanese team was played on the Cricket Ground in Yokohama Park between YC&AC and Keio Gijuku (Keio University). Rugby had been introduced to Keio students in Tokyo in 1899 by two Cambridge University graduates: E. B. Clark, a lecturer of English born in Yokohama, and Ginnosuke Tanaka.

After the opening of the port to foreign trade in 1859, Yokohama quickly became Japan’s largest international settlement. Nearly every western sport in Japan today, including athletics, baseball, cricket, hockey, horse racing, rugby, soccer and tennis, was first played in Yokohama, mostly in the Yamashita-cho and Yamate-cho areas of the Foreign Settlement.

Under the supervision of the Yokohama Archives of History, the Rugby Football Unions of Kanagawa Prefecture and the City of Yokohama, along with YC&AC have erected this plaque marking the birthplace of rugby in Japan as part of preparations for the Rugby World Cup 2019, which is being held in Japan (and Asia) for the first time this year.

また、慶応大学生にラグビーを伝えたとされるエドワード・ブラムウェル・クラークさんの孫であるHeather Humphriesさんを慶應大学ラグビー部のOBが探し出し、Heather Humphriesさんとその孫を2019年の慶應ラグビー部創立120周年に招待しています。そして彼女達をYC&AC に招き2019121日に慶應大学(1 年生)対YC&ACのラグビー記念試合をYC&ACのグラウンドでとり行っています。以下、Connectマガジン2020 12月合併号のマイク・ガルブレイス氏の記事の一部を引用します。

On December 1 the YC&AC played a rugby match on its grounds in Yaguchidai against the Keio Juniors (first year students) team. A Kyodo News story called the game a ‘memorial game’ to ‘commemorate’ a long rivalry but, in fact, the game was arranged to honour the visit to the club by Heather Humphries, the granddaughter of YC&AC member Edward Bramwell Clark who introduced rugby to his students at Keio University in 1899, probably using a YC&AC ball. Keio had invited Heather to their grand party on November 23 when 900 participants gathered to celebrate the 120th anniversary of the start of their rugby team.

慶應大学にラグビーを伝えたエドワード・ブラムウェル・クラークさんについてちょっと補足します。彼の父親はRobert Flower Clarkと言い、当時イギリスだったジャマイカで生まれ比較的裕福だったようです。ジャマイカにはイギリスの砂糖プランテーションがあり、当時の植民地支配と砂糖の関係が面白いです。なお、イギリスの覇権について興味がある方は、高校生向けの「砂糖の世界史」(岩波ジュニア新書・川北稔)を読むと面白いと思います。ウォーラー・スタインの世界システム論がやさしい記述で読めます。さて、Robert Clark1864年前後に横浜に来て、Yokohama Kanagawa Bakeryというパン屋さんを初めたそうです。そこでパンの修行をした日本人が打木彦太郎という人で、その人が後に「ウチキパン」という店を初めました。今でもウチキパンは地下鉄みなとみらい線横浜・中華街駅出口(元町口)そばの横浜元町ショッピング・ストリート端に店があり、イギリスパンが有名です。話をもとに戻しますが、Robert Clarkの息子がエドワード・ブラムウェル・クラークで彼は1874年に横浜で生まれました。彼は養子だったという話もあります。彼は横浜にあったイギリス人向けの学校(Victoria Public School)にゆき、そこで、後に慶應大学生にラグビーを一緒に伝えた田中銀之助と出会っています。田中銀之助は英国留学前に横浜のこの学校で一時勉強していたようです。以下、Connectマガジン2019 1112月合併号のマイク・ガルブレイス氏の記事の一部を引用します。

Edward Bramwell Clark studied at the Victoria Public School alongside Tanaka Ginnosuke who helped him to introduce rugby in 1899 to the students of Keio University. At the age of 15 he won nearly all the academic and sporting prizes in the school, except that for mathematics which was awarded to Tanaka, and had several inspirational meetings with Lafcadio Hearn.

エドワード・ブラムウェル・クラークさんはラフカディオ・ハーン(小泉八雲)とも会っていたようですね。横浜で日本に影響を与えたいろいろな人と交流があったりと、非常に横浜の歴史は面白いです。エドワード・ブラムウェル・クラークさんはYC&ACでラグビーをプレーするだけでなく、クリケットやテニスもプレーしていたそうです。エドワード・ブラムウェル・クラークさんは慶應大学で教えた後、1913 年には京都に移住し、三高、京都大学で教鞭を執りました。彼は1934年に亡くなり、神戸に埋葬されました。

以上のように、日本におけるラグビーは1862年の生麦事件が遠因となっていたり、日本の近代の幕開けに関する歴史的事件や横浜発展の歴史と重なりながら日本にもたらされたことも頭の片隅に入れてみると面白いと思います。機会があれば横浜の歴史を予習してから横浜中華街の山下町公園にあるラグビーの記念碑を見に行ったり横浜開港資料館を訪れて日米和親条約締結場所を見て歴史も勉強したり、また、YC&AC 4月始めに毎年行われる7人制ラグビー大会(慶應大学、早稲田大学、筑波大学、東海大学、流通経済大学なども参加)を見にいったりするのも面白いのではないでしょうか。


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